I love brand life //:

エルメスについて語り合いましょう!

  • 特にこだわりが無い人にとって、ブランドというものは縁のないものになってしまうのかも知れないが、好きな人にとっては、憧れのブランドのものを持っているそれだけでテンションが上がるのだ。私には無くてはならない存在のブランドですが、友人はブランドにこだわらない志向の子である。素朴で、ナチュラルといった感じの印象。そのままである。 自分を飾らない、脱力系というのだろうか。ナチュラル系というのだろうか。 女の子なら、少し背伸びしてオシャレを楽しむという楽しみがあってもいいと思うのだが。それは私の価値観で。彼女は違う。 もっぱら自然素材を好み、持っているカバンと言ったら、綿のト−トバックを見かける事が多い。夏に至ってはそれこそ自然素材の麻や、ウォーターヒヤシンスで出来た感じのカバンなどを持っています。 部屋の家具はアジアな感じではなく北欧テイストの家具で揃えている感じがします。 それが彼女の好きなスタイルなのだと分かるのですが、私からしたら、なにかパンチが足りないような、気がしてならないのです。だから、部屋は結構ヨーロッパの物に、絵なんかも飾っている。完全に好みが違うのだと感じる。彼女にこだわりがないのではない、彼女なりの価値観で、よしと思えるものを揃えているからだ。ブランドじゃないから。こだわってないということにはならない。 日本人はブランドも物を持つと自分の価値が高まったような気がして安心する所があるらしい。確かに、私もブランド物を持っている自分が好き。そんなところがある。しかし、好きなのだから仕方ない。 頑張らなくても購入できる位の身分ならば誰も何も言わないのだろうが、生活費を削ってまでもブランドの物がほしいと思うのが、外国の人に考えと違うようだ。外国の人にとってブランド物は、長持ちがして、信頼出来て、代々受け継いでいけるものとして捉えているらしい。だから、新作が出るたびに飛びついて買うというような事は、日本で顕著なのだとか。だから、中古市場というのもあって、ブランドの物を探すことができる。使用状態が良ければ本当に新品と変わらない位の綺麗なものがお値打ちに手に入る。限定ものだったりしたら、逆に価値が上がって、お値打ちということにはならないが…。 時計や、バックなどは限定品っているのが多いですね。 何とかモデルとか言って売ってますよね。 その年の大きな行事に関しての記念モデルだったり、有名人がプロデュースしたものだったり様々です。 期間限定で、特別な色のものを発売したりもします。私の憧れの時計は、TAG HEUERのフォーミュラ1クォーツっていうので、時計が欲しいなって思って探していて、目が離せなくなる感じで、一目惚れしたのがそれでした。 しかし、結構な値段するのですが、素材はステンレスと、セラミック。 セラミックを合わせて使っている分、軽いのかもしれないですけど、どうせならチタンを使って欲しかった!なんて、勝手な要望をもち、チタン素材のものも探しています。 でも、重さを感じるのはステンレスなので、重厚感を求めるなら、輝きもいいですし、ステンレスもいいですけどね…。 軽過ぎても、なんだか時計してる!!っていう感じがしないかもしれませんものね。 すこし、ゴツ目で主張のあるものが私は好きなので、近い目標で、その時計を手に入れるという目標を持って頑張りたいと思います。 手に入れてない今からワクワクしてしまう〜! こういう目標がないと頑張る意欲が湧かない私はどうかしてるんでしょうかね。 目標の為に頑張るって私は今までそうやって頑張ってきたので、多分これからも、私はこう言う頑張り方をするんでしょうね。 いつか、物に執着しない時が来るかもしれませんね。 本でも、物に執着しない生き方とかいうそんなような本を見た事があります。 結局のところ、人の心は欲しい物を手に入れても、本当の意味で満足しないのだ。もっと、もっと…限りなく物欲は湧いてくる。確かにそうかもしれません。 自分の経験で手に入れた知識と体験は自分のものになります。しかし、買った物は自分のものであっても、あの世に持って行けるわけでもないのです。確かにそうですよね。母も良く言います。習い事なんかで、あなた自身がみにつけ技術や、経験はあなただけの物になるから、あなたの生きる力になるからって言います。確かに、私がずっと習ってきて体に染み込んだ感覚や、経験は他の誰にも奪われることはない。しかし、物は失くしたり、取られたりしたら「無」になってしまう。分かります。母の言おうとしている事はよーくわかります。でもね、満足出来ない自分がいて、手に入れたいって思ってしまうんですよね。買い物依存症っぽいのかもしれませんけど、借金してまで買ってるわけではないので、なんとか認めてもらい所ですね。 事実、物を買うことを考え、買ったらどうなると考えるだけで、脳の中は買ったのと同じくらいのドーパミンが出るらしいです。じゃ、お金出して買わなくても、脳は快楽を感じているわけですね。それでもやっぱり、手に入れた!という満足感、私目標を立てて達成したら、これを買おう!としているので、達成感が味わえていると思っているのです。 母は言います。沢山のものに囲まれても、幸せにはなれない。 分かります。物を買っても結局また違うものが欲しくなるという繰り返しですから。私の心は何で満たされるのでしょうか。 沢山の経験?確かに有意義だと思います。でも、沢山の経験をしても尚、欲しい物が出てくるのですから仕方ないですよね…。 物を買うなら、経験につながる物を買うといいらしい。例えば、マラソンを始めるのに、ランニングシューズを買うというような。 あ〜、そういうことね…。 マラソンもいい経験になりますよね。まずは基礎体力作りでしょうけど、体が慣れてきたら、いろんなイベントを探して走って、この前も参加してたよね?みたいなことから共通の仲間が増え世界が広がる可能性だってある。マラソンを通じて、健康の大切さに気付くかも知れない。走らなかった時には気付かなかった景色の美しさに気付くかもしれない。 そういうことで日頃のストレスが発散出来て、物を欲しいという気持ちが薄れるかもしれない。つぶやいていないで、始めてみようかな。 そう言えば、私、小学校の短距離走でも、選手に選ばれていたな…。運動会の選抜リレーの選手。夏休み明けのお昼休みに、バトンの受け渡しの練習。前の子と、私、私の後の子へキッチリ落とさないでバトンを渡す練習。バトンパスという名前すらついている!それに加え、バトンを受け渡す時に速度がなるべく落ちないように受け取る際には後ろは見ない。前を向いて走り始め、右手を後ろに差し出して、上部を受け取り、受け取ったら左手に持ち替えて走る。渡すときは、相手の右手にしっかりと渡す。その時にきちんと、「ハイ!」と、声を出して、上からパンとおくように、確かに渡しましたよ!といった感じで渡す。この練習がかなり、重要。その時に走り始めるタイミングも難しい。あまり早すぎても、バトンを渡せないままになってしまう。(ある一定のライン、テイクオーバーゾーンの中でバトンを受け渡すルールがあるようでしたが、追いつけないのです。こうなった場合、なんだか面白くて笑ってしまいましたね…。出るの早すぎた〜!みたいに。)逆に、走りだすのが遅いと、渡す時にスピードが落ちてしまい、最終的に受け渡しの時のタイムロスになってしまうのです。なかなか、地味な練習なのですが、これが上手い事いったら、いい結果につながるのが分かったので、短い期間ではあるのですが、何度も何度もミスのないように、練習した覚えがあります。運動会の為にね…。夏休み明けの運動会までの期間なんて、本当に、短いですよ。その短い期間ですが、選手の間に団結力みたいなものが生まれてきて、成功した時にはみんなで、喜びあったものでした。何故だか、男の子は裸足で走っていたような気がしますけど、足痛めなかったのかな…。 靴履いていた方が、絶対安全な気がするんですけど…。足への衝撃とかの関係で。組体操もそうですけど、あれは人の足に乗ったり、背中に乗ったりするから、靴を履いていると相手が痛いからでしょうね。波とか、ピラミッドとか、あったな…。 そうそう、中学校の競技で、クラス全員で2人3脚みたいな42人43脚というような競技があって、昼休みにみんなで練習したな…。スピードがのってくるとものすごい速さで進むから、停まるのが大変。テレビでやっていたように、なだれ込むようなマットがあれば良かったのでしょうけど…。それで、他のクラスに負けたくないって言うような対抗心が生まれ、クラスの団結力も付いていった気がします。先生も、上手いこと競技を選びますよね。 リレーでも小学校の高学年になると、そういう団結がみられたかな。1年生の子も、その中で選手が選ばれるのですが、まだ、訳が分からない感じで、走るのに精いっぱいな感じですけどね。 3週間あるかないか。最後の一週間は応援合戦とかの総合練習みたいな時間もありましたし…。 全校生徒が1000人はいなかったですけど、4色にチーム分けされて、順番に応援合戦をしていくのですが、先生たちが、前で手が揃っているか、動きが揃っているのか声の大きさは…など、採点基準を元に採点されて、競技との合算で優勝が決まるという感じでした。なので、その頃はものすごい声を出して声が枯れてしまうような状況。応援団の人もカスカスの声で頑張っていたような…。応援団の練習は、放課後に行われていましたね。夕日が傾き始めたオレンジ色に染まった校庭で、応援団の子が何度も振りを合わせていたのを覚えています。 しかも、中学校の長距離走もいいタイム出してしまったのか、年明けの駅伝大会で選手にあがって、冬休みにも学校に出て、練習させられたな…。その頃は何にも考えないで、走らされて…って感じだったけど。本当に、息が苦しいなか走り続ける…。ひたすら腕を振り続けて足を出し続ける…。難しいのが、駅伝なので走っている人が近くにいたら、その人についていくというのが目標になるのだけど、自分の中でこれ位で走ったらこのくらいのタイム…なんて事が分かるのだろうけど、そこまで走り込んでいるのではないので、つかめていないんですよね。だから、近くに人がいないとどの位のペースで走っていったらいつものペースなのかが分からない。でも、見える範囲で人がいたら、なんとか距離を縮めようと頑張ってしまう自分。本当に苦しかったな…。でも、初めの区間や、最終区間になった事が無かったのが救いだな。責任重大な感じしますよね、初めは差の広がりが分かりやすいし、最後は追い上げる事が出来たら、いいですけどそれが出来なかったら残念な順位でゴールする事になる。昔のように、筋肉もないし、体力もあるわけではないので、本当に0からのスタートだから、体が動くかどうか…。分からないですけど。 何かが変わるかもしれない。何か、変えなくてはいけないような気がしてきた。物に囲まれた豊かさよりも、経験によって自分を高めることの幸福感。充実感。きっと、充実した日々が送れるに違いない。 ランニングを趣味にしている友人にどんな風に始めたか聞いてみよう。 何から初めていいのやら分からない…。 友人もそう言えば、ランニングを始める時にウエアを買いに行こうといってわくわくしていた事があったかも…。その時の私は、ランニングには本当に興味が無くて、走る人の気持ちが全く分からなかったな…。走る人って、何が楽しいのだろうって…。特にフルマラソンでタイム競って走る人って、最後にあんなに立っていられなくなるほど走りきって、どんな感じなんだろうって…。終わった後、倒れこんで…。私には絶対出来ないことで、そこまで限界に挑戦するのって、逆に体にどうなのかな…って思ったりしたこともありました。 選手の人は今までの練習の成果を出しきって満足していたり、今日のランはここがダメだった…と反省の気持ちでいっぱいなんて事もあるのかも知れませんね。 でも、何となく走りたいという気持ちが分かるような気がします。 私なら、どんなランニングシューズ買おうかな。ウエアもどういうのがいいかな。なんだか楽しみになってきましたけど、実際本当に走れるのものか…。 運動を普段して私にとって、ちょっとハードルの高い話ですが、怪我をしないように順を追って少しずつ段階を踏んで前進して行けたらいいな。